ほんまなんもやる気せんかったんで、め組の大吾全巻イッキ読みなんかしちゃったよ。そして泣いた。全米が泣いた(嘘)。
まあ前から言うてることですけど、冬コミでの頒布を目標にしてふぉくす子の同人誌本気で作ろうかなと。しかし僕一人では心細かったため、いぬねさん(神)やさとみちんおやびん(若年寄)ほか色んな方々にご協力いただくことになる模様です。おらなんだかすっげえガクブルしてきたぞ! あと折衝役はともさん(被害者)に押しつけた。
スレイプニルをスレイプ
と略してる人がいることに正直驚いた。これは偏見なんだけど、こういう謎な(その人以外誰も使ってなさそうな)略語を使うのって自称中級者の人に多いような気がする。気がするだけですよ。
あいつは褒められて伸びるタイプだ、とか、あいつは叩かれて伸びるタイプだ、とか言うことがある。でも、人ってそんなに単純なものなのだろうか。そうではないと思う。僕は叩かれて伸びたこともあるし、叩かれてヘコんだこともあるし、褒められて伸びたこともあるし、褒められて伸び悩んだこともある。褒められてとか叩かれてとかそういうのは、その人の性質と言うよりも、状況によって変わってくるものなんじゃあないだろうか。
僕の場合はこんな感じだったように思う。
→「こっ、これでどうでしょう……なんかヘンじゃない? 大丈夫かな?」という心境の時には「大丈夫大丈夫!」と背中を押されることで次のステップに進めた気がする。
→自信がなかったのが、褒められたことで自信を持てた
→「まあこの分野では僕は頑張ってる方だよね」と思ってるときには「いやーさすがですね」とか言われると慢心してそこで歩みを止めてしまっていた気がする。
→自信を持ってたから、褒められても何らプラスにならなかった
→「どうだ見てみろ、これでもか、これでもまだ貶すか!」という心境の時には叩かれれば叩かれるほどやる気を駆り立てられた気がする。
→自信を持ってたから、叩かれて反骨精神が刺激された
→「こっ、これでどうでしょう……なんかヘンじゃない? 大丈夫かな?」という心境の時には叩かれると出鼻をくじかれたみたく意気消沈した気がする。
→自信がなかったので、「ああやっぱりな」と凹んだ
つまり、自信のあるなしが鍵だったんじゃあないだろうか。
ただ、自信に充ち満ちているようでも実は不安が芽生えていたり、逆に、表面では不安がっているように見えても実は慢心があったりするから、自信のあるなし(不安のあるなし、と言ってもいい)はここではあくまで「本心」「本音」の方を――少なくともその時にそれが本音であると自分で認識している方を、判断基準にする必要があるだろう。
とかなんとか言い出してしまうと、そんなのテレパシーでも使えなきゃ無理じゃんって事になる。だからこの理屈は、考えてることが顔に出やすい子供や、そういうガキっぽい人相手になら有効なんじゃあないかと思う。
また、傾向として「何にでも自信を持てない」とか「異常に何にでも自信を持つ」とかそういう特徴的な性格を持ってる人というのはあるだろう。そういう人の場合を特に「褒められて伸びるタイプ」とか「叩かれて伸びるタイプ」とか言うんじゃないだろうか。
とにかく言えることは、「俺はガンガンしごく。人間は叩かれりゃあ『なにくそっ』と発憤して頑張るものだからだ。」とか、「私はとにかくなんでも褒める。人間は褒められればもっと頑張るものだからだ。」とか、誰に対してもどんなときにでも同じ考え方を当てはめるのは宜しくないんじゃないかって事だ。
……という話から、結論として「まず叩いてみる。んで凹むようなら褒めてやる。」というのが多くの場合で有効なんじゃないかと思った。叩かれて伸びるタイプなら最初の叩きで伸びるし、褒められて伸びるタイプなら、一度叩かれた相手から褒められたって事でそれが相乗効果になってより一層『褒められた歓び』を感じられるから。という理屈なんだけど、どうだろう。でもこれってイエスバット法と正反対だよなあ。って事は僕の考えがおかしいんかなあ。
――イエスを最初にいうことに意味があるのではなくイエスとバットの「質」に拘る
のが大事、という指摘にはちょっとグラッと来たかもしれん。つまりは、何が目的なのかが大事なんだろうか。そいつの足を引っ張りたいのか、そいつを伸ばしてやりたいのか。
TabPreviewはチェックしてはいたんだけど、一度に一つのタブの内容しか見れんし、いちいちポインタをかざさないと表示されんしで、サムネイル使うんだったら一覧表示してこそでしょうがとか思っていながらもめんどいから自分で作るようなことはないだろう、と思ってたら、なんかバカにされたようだったのでついカッとなって作ったタブカタログ。てな勢いで。悪気はなかった。サムネイルならなんでもよかった。今は反省していない。
サムネイル生成処理はTabPreviewのものをパクリ(っていうか最初はTabPreviewの小改造で済ませるつもりだったんだけど結局ほとんど別物になってしまった)、Ctrl-Tabの乗っ取りはスタック型タブのコードの流用。
でもこれって既にGecko系ブラウザの風博士が数ヶ月前には通り過ぎていた道なんすよね……
裸電球氏の指摘を受けてちまちまと改善。タブバーの代替として機能させるとなかなかおもろいことになりそうな予感。コンテキストメニューとかね。
なんか軽い気持ちで作った割には評判いいみたいで、細かい改良を重ねてくるうちにそれなりの物になってきた気がしますタブカタログ(どうでもいいけどカタカナで書くと読みにくいなこの名前)。苦労したけどタブのコンテキストメニューをサムネイルの上に表示するといったことにもなんとか成功した(Windows 2000でしかまともに確認してませんが)し、まあこんなもんかな?
仕事が速いとか言う人がいるけど、それは実態を知らないから言えるんだと思う。このタブカタログ、たかがこの程度の物とは言っても、ここまでで延べ24時間は確実に費やしてるんですよ実際には。本来社会的に望ましい開発スタイル、即ち、普通に仕事の息抜きや余暇を使ってやってたら、僕の頭じゃ2週間とか普通にかかる……っていうか「昨日までの作業」の事を忘れたりするだろうから絶対もっとかかるだろう。それを、時間をまとめて投下したから、仕事が速いように見えるだけのことです。だから、その間他のことは一体どうしたのさ? というのは察して下さい(ぉぃ)。見方を変えれば、こんな物を公開しているということが、僕の社会人としての人間性の駄目さ加減を如実に表しているとも言えるでしょう。
TVドラマ「電車男」のオープニングアニメーションが有名なアニメのオマージュだという話は聞いてたんだけど、元ネタを知らなかったんでよくわからんかった。しかし比較動画見てワロタ。音楽も映像も本当にそのまんまなんだな。そりゃあ話題にもなるわ…… 元ネタのDAICON4オープニングアニメは海外のサイトにあるキャプ動画で全編を確認できる。ということで世間より1ヶ月遅れてようやく祭りの全容を把握できた僕なのでした。
桐野さんのバナーはマジ萌えだ。というかなんですかこの凄まじいまでの萌えは! まったくもってけしからんので、もっとやって下さい!(ぉぃ)
TV版AIRのDVDリリースもついに来月で最終巻か……
コスミコミケVol.1 パロディ古典古典(Amazon.co.jp)というのを何故だか買ってしまった。コミックマーケット30周年企画
と書かれてたんで……ほんとこういう企画ものに弱いのね僕
収録作全19作品の中で僕がおもろいと思えたのは6〜7作。値段の割に、僕にとってはハズレだったような気がする。あくまで「僕にとっては」だけど。
タイトルに「古典」とあったのでどういう意味かと思ったら、収録作のパロディ元ネタが「アトム」「カムイ伝(ほか、白戸三平作品)」「サイボーグ009」と行った古典的名作なのであって、収録された同人作品自体が古いというわけではないのね。一発目の藤沢さン「英國変物語(メイド13)」なんて、「ゴルゴ13」と「エマ」の合成ネタで2005年3月の作品だというし。
あと僕の分かった元ネタのタイトルだけ列挙すると、「がきデカ」「ガンダム」「まんが道」「デビルマン」「聖闘士星矢」「サザエさん」「ブラックジャック」「キャンディキャンディ」「ゲゲゲの鬼太郎」「不条理日記」「はだしのゲン」「北斗の拳」「ヒカルの碁」という感じ。他にも、パロディなんだろうけど僕は元ネタを知らないというのがいくつかあった。
極端なボンキュッボンでない、比較的リアルな体型で描いてみる練習。この服装は分かる人にだけ分かるネタです(意味深)。
ゾンビ馬の話はほんとに縫って終わりなんですか荒木先生?!
歯医者に行こうというタイミングで一番雷雨が強い時に表に出てしまい、落雷に怯えたり下半身グチョグチョのヌレヌレ(語弊有り)になったりしながら行き着いたのですが、帰りにはカラッと晴れ上がってて、おいおい来る時の苦労はなんだったんだよと。
セックスボランティア(Amazon.co.jp)という本を昨日の帰りに見かけてなんとなく立ち読みして衝動買い。
タイトルだけ見ると、SPAMか何かかよ!って感じだけど、そうではなくて。
僕ら「健常者」と呼ばれる人間は、ともすれば障害者を「かわいそう」で「いたわられるべき人間」で「純粋無垢」な「聖人のような人」と考えがちだ。でもそれは勘違いで、実際には、例えば重度の知的障害や、脳性麻痺による障害を持ってる人だって、性欲はあるし勃起もするし射精もする。
そういう障害者同士のカップルのセックスを手伝ってやったり、あるいは相手になってやったり、そもそも性教育から始めたり(これは裏を返せば、「障害者へは性教育なんてしなくていい」という判断があるということでもある)という取り組みや、それをボランティアではなく障害者用デリヘルといった形で商売としてやってる人、オランダの実情などを、障害者と介助者の双方へのインタビューから浮き彫りにしていこうという本。
1年以上前に出た本に今頃反応してるのかよおめでてーな! と自分で思わんでもないけど、でも、今だからこそ、この本の内容を現実味を持って読むことができるのかもしれないとも思う。いや、依然として童貞ですけどね? ここ最近、恋愛弱者蜂起計画とかを通じて、モテとか精神的な充足とか色々考えたから。
僕としては、恋愛障害者を自称せずにはおれないような喪男の問題と、どうしても重ね合わせて考えてしまう。エロ絵描いてオナニーして発散して、普段は悟りきったような口調で話してはいても、結局性欲からは逃れられない。ただ、ヲタは性欲を前面に出して表現できるから、その点ではまだ救われているのかもしれない。
個人情報漏洩の損害賠償算定テンプレート興味深い。どんな場合でも一律500円でも、言いがかり的なバカ高い額でもなく、現実的な解を判例を元に出せるわけですな。
ヒーローと正義(Amazon.co.jp)を通勤時の暇潰しにちょっと読み返してたんだけど、その中にこんな話があった。「足を踏まれた痛みは踏まれた者にしか分からない。踏んでしまったときには痛みに応じた補償をする必要がある。だが、私達は誰かの足を踏まないために歩いているのではない。誰かの足を踏ませないために、歩くこと自体を規制するのか。」
映像作品の制作者側の筆者は、作品中に障害者キャラを登場させづらいことを例にとって、「足を踏まれた痛み」理論をむやみやたらに振りかざす事に異を唱えている。なんの脈絡もなく脇役やエキストラとして登場すれば「意味なく出して差別している」、悪く描けば「障害者を差別している」、リハビリに励んでいれば「治らなければというプレッシャーを与える」、障害を克服できなければ「克服しようとしている人を絶望させる」、という風に必ずなにがしかの文句をつけられる、だから「物語の主人公あるいは重要人物として、いい人が、障害に関係なく頑張る姿を描く」という定型的なパターンしか描けない、という話だった。
何かすれば、必ず誰かの足を踏む。あるいは、何に対しても「足を踏まれた」と言うことができる。絵を描けば「絵を描けない人を傷付ける」、プログラムを公開すれば「プログラムを作れない人を傷付ける」、恋愛話をすれば「恋愛できてない人を傷付ける」、何だって言える。
もちろん、それを「何らかの表現をする上で避けられないリスク」と認識した上で、足を踏むことを恐れずに歩くのは、その人の自由だ。臆して歩くこと自体をやめてしまうのも、また、同様に自由だ。何にせよ、自分が歩くときに誰かの足を踏んでいるということ、誰かの足を踏むかも知れないということに、気づきもしないのが一番宜しくない。
ただ、世の中にはあまりに足の大きい人がいて、何をしても多くの人の足を踏んでしまう(発言の影響力が大きい)とか、あるいはその逆に、誰が何をしても足を踏まれたと感じてしまう(被害者意識が強い)とか、そういうケースがある。そういうことを、恋愛弱者蜂起計画を別の視点から見るようになってから、最近よく思う。
というわけで、踏む方も踏まれる方も、人は歩くのに必要最低限の足の大きささえあれば十分なんじゃねえの、無用に足をデカくしても生きにくくなるだけじゃねえの、と思った。あるいは、わざわざ足を踏みに行ったり、わざわざ踏まれるために足を差しだしたりとか。
ふぉくす子さんだば子本の表紙をイメージして(←勝手に妄想してるだけですよ)描いてみつつあるふぉくす子さんだば子。 体の造形的にはいわゆる萌え系のラインをだいぶ実現できてるという評価を頂けたけれども、顔まわりの絵柄の古さは相変わらずで……まあ多分サークルカットはこれでいくことになると思いますよ(首謀者のワガママ)。
JavaScriptでXPCOMコンポーネントを作るチュートリアル in 日本語すげえ。こんなの全然知らんかったよ(ド素人もいいとこですね)。情報元はもじらかけら。
モヒカン族 - 二酸化モヒカン倶楽部 (otsune) - 申し訳ない。文脈がよくわかりませんでした。→Zopeジャンキー日記 :さとう珠緒のバカブックガイド : オタクを愛せる女、愛せない女→WEBダ・ヴィンチ。連載第1回だそうなんですけどいきなり飛ばしてますね! 20代の頃は、エルメスさんじゃないけれど、「オタクもいいかな?」って思った時期もあったんです。(中略)まあ、すぐ飽きちゃうんですね。(中略)たぶん、あの頃は「オタクも愛せる私って素敵」なんて思っていたんでしょうね。間違ってました、私。今ならはっきり言えます。キモいものはキモいんです!
って生々しすぎてウボァー ていうか自分現在進行形だから余計に突き刺さるものが……
人生を狂わす(以下略)への反応→別の日付の記事→処女膜再生手術……ほんとにあったんかそんなの。鬼畜エロマンガとかの創作だと思ってた。ところでこれはナイロン糸を使うようですが、切れた糸はどうなるのだろう。体の中に残りっぱなし? あと処女にこだわる心理の根拠を子孫を残すための本能と絡めた考察は、なるほどそういう考え方もあるかと思った。
ふぉくす子フィギュアさっそく改修してみたよ。前髪の処理は悩みどころだ……
バーチャル遠距離恋愛どころかバーチャル恋愛疑惑が。えぇぇぇー
友達と政治の話ってするものだろうか? 僕はほとんどしたことがないと思う。よく「初対面では野球と政治と宗教の話はタブーだ」と言うけれども、初対面でなくても全然しない気がする。まあ、話をしたところでどこまで行っても平行線だったり、下手すれば宗教戦争みたいなことにもなりかねないから、敢えてしないという選択を皆が取ってるんだろうか。
「波風立てないための生きる知恵」がいつの間にか「
政治について話をする機会がないと、自分の考えと他の人の考えとを比較して吟味するということができなくなるし、そうなると情報収集もしなくなるし、興味自体無くなる。「政治に無関心な人」というのは、そもそも「政治の話を人前でしちゃいけない」とか「するのは恥ずかしいこと」とか「するのはカッコワルイ」とか思ってるからそうなるんじゃないのだろうか。
それはそれとして、総選挙かあ。
なるほど、これからガンガン構造改革して民営化を押し進めていくにあたって、自力で経営していけないような腐りきったところを民営化したって成功するはずがないんだから、一応経営が成り立ってる郵便局から民営化してくのが筋だというのは、言われて初めて理解できた。
で、それに賛同できる人は小泉自民に投票せよと。賛同できない人は抵抗勢力だろうが野党だろうがどこにでも投票したまえと。そういう話なんですよね。
でもなー国会って郵政民営化だけじゃないからなー。何年かに1回の選挙で「争点」以外のあらゆる事柄についてまでその党一つに丸投げしなきゃいかんだなんて、無茶言うよなー。
サークルカットでけた。トーン化して印刷すればできあがりよ。もう「(仮)」は取って、これで正式な申し込みサークル名ってことにしよう。ああ、繰り返しますがこのプロジェクトはどこぞのアレとは関係ありませんよ? Firef○xとしか書いてませんからね?(無意味な伏せ字) あと、せっかくだからカラー版も作ってみた。文字が邪魔だという人は、某氏をして「つんつんしたくなる」と言わしめたおぱんちゅ画像でもどーぞ。興に乗って壁紙なんかも作ってみたり。
1ヶ月ぶりに会ってきた。短い時間だったけど、この上なく幸福な時間だった。色々話せたのはよかった。でもこんなんじゃ全然話し足りないよ……
大学の友人と意外なところでばったり会った。
13〜15日の事を書いた。超たるい……
もえじら組にブログ設置しました。他の人にもここに書いてくれとお願いしておいたので、各人のサイトをチェックしなくても、ここをチェックしてれば最新の絵とか見れるかも?
何をどう言っていいかよく分からないけどなんだか目に留まった記事(っていうかブログ全体の空気)。渡る世間は阿呆ばかり - 俺VSその他。僕には無理だと思った。真性の臆病者には殺伐系はできない。
なんつうかほんとに、ここ最近の動きを見てると追従する気がどんどん薄くなっていってしまいますねFirefox。もういいよ僕は萌えに走るよ。萌えって何なのか未だによく分かってないけど。
追従する気が急激に薄れてきたことの理由の一つは、焦燥感が薄れたからなんじゃあないだろうか、とふと思った。やはり非モテは創造の原動力です。この世からの一切の痕跡の消滅に対する恐怖こそが、何かを遺したいという意欲を駆り立てるのです。
とかなんとか難しいげな事を考えたりもするけど、単に飽きただけという説もあるから油断はできない。
懸案だった画像うぷ機能も問題なく使えてるし、ホントにこの日記もどきにも使おうかなblosxom。
なんかスッキリした。でも結局寝れんかった。なんで? できれば落ち着くところに落ち着いて欲しいものですし、落ち着けたいです。
Split Windowとやらの変更の影響か、最新のナイトリーでEz Sidebarに不具合が起こりまくってて困った。window.__defineGetter__('hoge', function() { return true; });
と書くと、今まではwindow.hoge
と書いてもhoge
と書いてもこのゲッターを参照できてたのに、場面によってはhoge
だけではゲッターを参照できなくなる。つまり場面によってwindowオブジェクトの参照するところが違っているらしい。一応回避策として、window.__proto__.__defineGetter__('hoge', function() { return true; });
とすることで動くようにはなったけど。これでええんかな? セキュリティホールになったりせん?
何かの境地に達してスッキリしたついでに自宅のFirefoxをGecko 1.8系ブランチ(Firefox 1.5に繋がっていくもの)のナイトリービルドに入れ替えたのだけれども、一気に地獄の底にたたき落とされた感じ なんか色んな弊害が出ててもうTBEの問題なんだか本体の問題なんだかちーとも分かりません。デバッグする気が萎えまくりです。Fastbackで戻る/進むしたページでだけ起こる問題もあったりして、これどっちが悪いのよ?みたいな感じで超迷うし。
Ez Sidebarがまるで使い物にならなくなってて焦る。どうして? 会社のWindows XP上でも、新規プロファイルでも動くのに、既存プロファイルから持ち越したデータだとまるで動かない……と、あれこれ試してて気がついた。どうも、マニフェストファイルの記述が問題のようだ。content ezsidebar jar:chrome/ezsidebar.jar!content/ezsidebar/
はOKなのにcontent ezsidebar file:///x:/chrome/content/ezsidebar/
はNGらしい。後者で登録すると、chrome://ezsidebar/content/ などで参照できるリソースを新しいウィンドウで開くときに真っ白けになってしまう。なんじゃそらー。これ本気でそういう仕様なんだとしたら、開発効率ガタ落ちっすよ……
今頃になって初めて、「敢えて信じる」ということを知った気がする。盲目的に頭から信じ込むのでも、疑いという「逃げ」を打ちながらキープするのでもなく、敢えて不安に打ち克って信じるという選択。
本当の鬱って凄いよ。僕が鬱だ鬱だ言うてるのなんてやっぱりポーズでしかない。見てて「ああこの人は生きてることが全然面白くなさそうだな」感がプンプンと漂ってる。シャレになんない。こう言っちゃ何だけど、こういう人と進んで一緒にいたくはないなあとすら思う。だからこそ、愛する人が鬱になったときというのはそのジレンマが大変なストレスになるんだなと思った。
例のBS2の9時間連続放送のやつを録画してたのを途切れ途切れに見た。実はファーストをきちんと見たのはこれが初めてだったりする。
内容について。
最後のカツ・レツ・キッカのナビゲーションで泣いた。この子達は、ニュータイプがなんなのかなんて全然分かってないんだろうな。にもかかわらず……という所にグッときた。
カトキハジメが何故ラストシューティングにこだわったのか、なんとなく共感できた気がする。軍事兵器としてのガンダムの最大の見せ場だ。
色んな登場人物がどんどん死んでいって、ホワイトベースが沈んで、ガンダムも壊れて、戦争とは実に虚しく哀しいものだと思った。
劇場用に新たに描き直されたであろう部分のクオリティが妙に高いのな。THE ORIGINや新訳Ζみたいに、シナリオは大きな手を加えずに映像を今風に作り直すって事はできないもんかね。特に、劇場版第1作はインタビューで富野カントクが言ってるように映画としてかなりタルい。それ故に僕みたいになかなか「原典」を見る気にならない人がいるのは残念だ。言い換えれば、そういう人には是非、THE ORIGINを見てもらいたいって事でもあるんだけど。
サイドストーリーがたくさん作られた後の今見ると、ああ、この演説をシローはどっかで見とったんやなあとか、この頃ちょうど同じくらいにアルはバーニィと仲良うしとったんやなあとか、このア・バオア・クー戦にブランリヴァル(G-3の母艦)やサラブレッド(ガンダム4号機と5号機の母艦)も参加しとったんやなあとか、このどっかにガトーのゲルググもブラウンのゲルググもウモンじいさんのボールもおったんやなあとか、物語世界の広がりを感じられて面白い。
番組について。
局アナの宿命か、司会者の人が「プラモ」とも「バンダイ」とも言えず「模型」「模型を作っている会社」と必ず言い換えてたのが笑えた。他の出演者は全然気にしてないのにね。
ランドウォーカーのレポートはただひたすら寒かった(主にレポーターが)。
糸は切れてはいなかった。これからじっくり時間をかけて、太く強靱な物にしていきたいものです。
Ajaxでエロゲーを作る。NScripter互換Flash製エロゲーエンジンとか、色々あるんだね。僕もAjaxとか知らん頃にいつだったか教育コンテンツのための実行エンジンということでDHTMLによるエロゲーエンジン(全ファイル一覧と提出したサンプルコンテンツ)なんて物を作ってたけど、こいつはスクリプトを書くのが壊滅的にめんどくさいことになってしまってたので放置してしまってる。せめて入れ子表現による制御構造とかくらいは扱えるように改良するべきかね。
タイトルがそのものズバリ「40歳童貞男」というハリウッド映画、見たい。見たすぎる。見たらきっと泣く。ハリウッドの文法に乗せられて泣かされる。ていうかこれってもしかして西洋版「電車男」ですか?
なんとなく、積みプラ状態で放置してたHGUC GP01をちまちまと組み立ててみたりして。
弟が貸してくれたうすた京介短編集チクサクコール(Amazon.co.jp)の「エト」が面白かった。心が温かくなった。
トリビアの泉の「女の人が絡まれてる時、秋葉原のヲタ男は女の人を助けるかどうか?」という実験は、100人中69人が助けに入るというなかなか凄い結果が出ていた。柳の下の2匹目のドジョウ狙いがあったにしても、なかなか頑張るなあ。偽のメイド喫茶のコスプレ店員と看板でおびき寄せて撮影という凝った方法で、確かにこの方法ならかなり確実に「強まったアキバ系男子」を引っかけられるだろう。女優選びとか、いらんとこで懲りすぎだ! あとマブラヴ女装コスには爆笑した。
メイド喫茶とキャバクラの類似性(目的は飲食ではなく「女の子」にある、ということ)が見えてしまうから、僕や頑ななヲタはメイド喫茶に行くことを忌避するんだろう。いや、類似性が見えているからではなく、「キャバクラ的要素があるんだけどキャバクラじゃなくて喫茶店なんだよ」という「みっともないエクスキューズを言外に発しながらメイド喫茶に足を運ぶ自分」がキモイから、メイド喫茶を忌避しているんだ、僕は。メイド喫茶は、僕らヲタ男の最も醜い部分をこうして際立たせる破壊力を秘めているんだ。
純粋なココロ・世界のはての作者の人って、以前度肝を抜かれた完璧なまでの脱ヲタ体験談の人だったのか。知らんかった。そんな人の言うことだから、より説得力を感じられる。
確かにヲタの心理は外見に反映される。「外見に関して、他人の価値観に迎合したくない」「外見に関する価値観が自分と違う人間に対しては、コミュニケーションのチャンネルを開きたくない、キモがるなら勝手にキモがれよ」という意識・無意識の主張が、アキバ系ファッションとして表面化するのだと言える。望んでいるか否かにかかわらず、その服装を選択している時点で、その外観をとっている時点で、自分は外観を通じて他人にそのようなメッセージを発しているし、他人は自分の外観をそのようなメッセージであると受け止めるのだ。
これは言語に依らないコミュニケーション、いわゆる非言語的コミュニケーションの一種だ。世の中にはこういった非言語的コミュニケーションをルッキズムと結びつけて否定する、つまり「外見ではなく中身を見てくれ」と言う人もいるが、そういう人は、コミュニケーションというものを甘く(軽く)見ているのだと言えよう。
広義の「脱ヲタ」とは、「外見」「第一印象」という最初のコミュニケーションチャンネルを他人に対して開く行為に他ならない(狭義だと、ヲタ的趣味すらも捨て去ってしまう事を言うが、僕はそこまでの「脱ヲタ」には賛同しかねる)。
もちろん、持って生まれた顔の造形その他の、努力では解決できない要素があることは否定できない。だが、僕が問題にしたいのはそこではない。髪型服装その他の、その人自身が選択して身につけている要素についてだ。それを選択している心理そのものだ。
――と書いたが、これは別に、全ての喪男がそうするべきだという話ではない。モテたいモテたいと嘆いていながらまず外観というチャンネルから非モテを強く自己主張してしまっている、という僕のような「上ばっかり見てるくせに向上心を持とうとしない」人は、本当なら向上心を持ってそうしようとするのが自然なんじゃないか、という話。
って、偉そうなこと言っといてお前自身はどうなんだよって話もあるわけで……