それでもタバコは嫌い

日記からの抜粋。僕は今から20時間後に20歳ハタチになります。

タバコが嫌いな僕

秋葉原で路上喫煙禁止にという話。全国的にそうしてくれっていうか法律にしてくれぇェェ

そうそう。こないだ、 CM 制作で知り合った友人が、講義が始まる前に隣の席に来たんですよ。で、ニオイで分かった。「タバコ吸ってた?」って聞いたら、なんで分かるのって驚かれてしまった。……現在進行形で喫っていなくても、その残り香だけで僕は嘔吐感をもよおすんだ。決して鼻がいい方ではない僕ではあるけれど、とりあえず、半径1〜 2m 以内にその状態で近寄るのは勘弁していただきたい。

ということを書いていたら、ありみか氏から自己中とのお叱りを受けてしまった。件のような場合には自分から席を移動する(その人にイヤーな顔をされないようにだまーって数メートル離れる)ようにしているのだけれど、そんな事は氏は知る由もないのだから、仕方があるまい。仕方が。ね。

まあ、僕のこういう体質(?)を知っていてなお僕の前でこれ見よがしに煙草を喫ったりニオイを漂わせたり(本人が意識していなくても周りの人はニオイを感じるのだと言うことは忘れないで欲しい)という人はよっぽど僕のことがキライなんだな、と思うだけのことです。

こないだの同窓会では、暖房のために閉め切った部屋の中で何人かがタバコってて、キレるわけにいかないから黙って寒い廊下に出てタバコが収まるのを待って、そしたら今度は廊下でもタバコ喫う人が現れて、仕方がないので黙ってクソ寒い屋外に行ってそれが収まるのをまた待って、結局部屋に入れる程度にまで煙が収まったのは何時のことだったかわからないや、というのもいい思い出です。

こういう恨み言をつらつらと書きたくなってしまうくらい、僕はタバコが駄目だ。もういい。タバコをやめてくれとは言わない。誰か僕に、タバコのニオイを嗅いでも平気でいられる方法を教えて下さい。空港近隣の住人全員に BJ 式手術を施すように、僕のような弱煙人が煙を意に介さずに生きていける方法を教えて下さい。

ということを書いていたら、ふるごむ氏に呆れられてしまった。不毛なのは百も承知です。でも、不毛を理由に我慢できるほど僕は人間が出来ていない。

自己中な僕

「禁煙法」が出來ても煙草はアングラに潛るだけ――いやいや、それで大いに結構です。僕は自己中ですから、自分さえタバコの被害を直接受けなければ気になりません、極端な話

お子様な僕

そういう一見非合理的なコミュニケーションのスキルというものに対する嫌悪感、という「お子様像」が僕の症状の正体なのだそうだ。おちょこ一杯の果実酒で真っ赤になってブッ倒れ、タバコの臭いだけでたっぷり30分はゲロゲロに気分悪くなれるのも、全部それに起因するのだそうだ。催眠術でもかけりゃあケロリと治るんだろうな、きっと。いや、正味な話。

やっぱりタバコが嫌いな僕

クチが臭いのは、多くは本人のせいだろう。自ら進んで歯磨きをサボるということは、クチが臭くなることも織り込み済みなのだろうから。諸々のやむを得ない事情があるのなら話は別だけど。

喫煙後に息なのか体全体なのかよく分からんけどとにかくタバコ臭いのは、本人のせいだろう。タバコは嗜好品であって、喫う以上はだいたいは本人が自ら進んで喫うわけで、ということは、タバコ臭くなることも織り込み済みなのだろうから。

何が言いたいかというと、自分で進んでクチを臭くしたりタバコ臭くしたりしておいて、それらが苦手な人に対して「それくらい我慢しなさい」なんて言われてはたまらんよ、ということです。口臭を消すとかタバコ臭を消すとかそういうことが不要であるなんてことはないでしょう。オレは喫煙者なので、臭いから嫌煙者には近づいてもいけないのだそうだと人間城の主氏はおっしゃいますが、問題を取り違えておられるように思えます。

話はそれますが。ありみか氏はそれこそソイツのブサイク顔が嘔吐感をもよおすモノだとかでも、接近禁止デスカネとおっしゃいますが、さて、顔が悪いのは本人のせいでしょうか。顔の悪い両親の元に生まれたことは本人の罪ではないでしょう。まあ身だしなみを整えないせいで見目が悪いのなら本人のせいと言えなくもないけれど。整形してまで顔をよくすることが当然の社会(韓国はそうだという話を聞いたけれど実際のところは知らない)なら、整形せずにいることもやはり本人の罪なのかもしれないけれど。閑話休題。

結局何が嫌かというと、ニオイまで含めて、分煙が徹底されていないのが嫌なんです(嫌煙者にとっては、ニオイも立派な「タバコの害」のひとつなのです)。人間城の主氏のような愛煙家諸氏が、僕のような嫌煙者のいないところで、 or 、いても完全に分煙されているところで、喫煙を楽しまれる分には、はっきり言って僕の知ったこっちゃないのです。やめて欲しいのは、喫煙者のためだけの空間ではない、そうでない人のためでもある場所、公道であるとか非喫煙者・嫌煙者お断りではない飲食店であるとか、そういうところに煙やニオイを漂わせること。もちろんそれらの空間は嫌煙者のためだけのスペースでもないですが、 Slashdot.jp から引用すれば、 No one wants to breathe your smoke. なのです。僕の脳内では No one wants to breathe your smoky breath でもあるのですけどね。

だからこそ、分煙化を徹底させる努力を主に行う必要があるのは、嗜好品であるタバコを自ら進んで喫っているという立場の、喫煙者の皆様方ご自身なのではないでしょうか。例えば、マナーの悪い喫煙者を減らすための努力をするとか。望ましい喫い方(そんなのあるのか?)を下の世代に教えるとか。貴様のようなガキに言われるまでもなく既にやっておるわ、という事でしたら、何も言う事はありません。愛煙家諸氏は嫌煙者の僕を蔑むでしょうが、僕は喜んでそんな皆様のお手伝いをする心づもりでおります。

もしかして、喫煙者の方が今の世の中ではむしろ弱者だとおっしゃいますか? 確かに社会的には弱者でしょうね。しかし肩身の狭さを自覚して身をちぢこませた喫煙者一人が放つ一服の煙とニオイは、勝ち誇った顔をしている嫌煙者10人を呼吸困難に陥れます(というのは誇張しすぎか)。行為者の社会的立場がどうであろうと、タバコの煙の破壊力は大きいのです。喫煙者の皆様方が嗜んでおられるのはそういうものなのだということを、忘れないで下さい。

――と、他人の発言を継ぎ接ぎしていかにも自分の頭で良識的正論を述べているかのような気分に浸りながら長々と書いたけれど、やはり No one wants to breathe your smoke. という前提自体が大嘘なんだよな。周りの人に訊いても、タバコの臭いは気にならないって人しか実際いない。みんな気にならないのだから、僕の苦しみは存在しない。僕がどうしてタバコの煙と臭いを嫌がるのかは精神の問題でしかない。そして僕はこの件に関して永遠に子供/厨房/狂人扱いされる。というか人間未満。仮に世の中からタバコがなくなったとしても、僕は結局、狂った一匹の動物。

タバコのニオイが嫌いな僕

ニオイごとき健康に影響しないのだから我慢せいと言われてしまったのですが、ニオイは本当に無害なのかは今まで調べた事がなかったので、改めて調べてみる事にしました。ここまでくるともうトンデモの世界とか難癖とかそういうレベルなのでしょうが、覚え書きも兼ねて。

文章にするのが面倒なので、思考と調査のプロセスを数え上げリストにすると、こうなりました。

  1. 臭うということは、何らかの物質が空気中を漂っているということだ。
  2. タバコ臭成分にはアセトアルデヒドが多く含まれている。(他には、硫化水素、アンモニアなどもある)
  3. アセトアルデヒドは吸引しても健康を害する。
  4. ニオイ程度であれば、アセトアルデヒドといえど、あくまで微量なのだから、健康に影響はないのではないか?
  5. シックハウス症候群というものがあるが、あれは、揮発した接着剤のホルムアルデヒドなどの成分が問題を起こすというもの。影響を受けない人は影響を受けないが、影響を受ける人は確実に影響を受ける。(嗅覚として違和感を感じるかどうかは別問題)
  6. シックハウス症候群と同様に、タバコのニオイに何らかの影響を受ける人間もいるのではないか。
    • とはいえ、いくら有害だろうと何だろうと、微量である事に変わりはない。
    • とはいえ、いくら微量だろうと何だろうと、有害である事に変わりはない。

他のもの(車の排気ガスその他)の影響の方が大きいのだからタバコ臭の影響など無視してもよい、というか、どうせ他に色々不健康な事やってんだからタバコのニオイごときでガタガタ抜かすんじゃあない、というのが世間一般の認識のようで。もっともですな。

そもそもこれは、「タバコのニオイに物理的な影響力はない(から、被害もない)」という話について、本当にそうかどうかを確かめたかっただけですから、まあ、物理的な影響力が有ろうが無かろうが被害は被害だと僕は言い続けるのですけどね。ありみか氏は納豆のニオイは問題視するに値しないとおっしゃいますが、そのニオイの与える精神的苦痛が耐え難いものであるなら、それは被害と言ってよいものだと僕は思います。そうでないと、慰謝料なんてものも成立しませんから。言う言わないはその人の勝手でしょうけど。

ありみか氏は、納豆の臭いで気分が悪くなる事を好き嫌いの問題と捉えているようですが、僕はタバコの臭いを精神的苦痛の問題と捉えています。もし仮に、僕が納豆の臭いに耐えられない体であって、周囲の人が納豆の臭いをそこかしこで漂わせていて、外を移動する際にもその臭いを嗅ぐ事を避けられないのなら、僕は納豆の臭いで気分が悪くなる事も精神的苦痛の問題と捉えるでしょう。

おねがいしてみる僕

こちらも断乎と自分の立場を主張せねばならないというかし氏のお言葉。ご気分を損ねられては宜しくなかろうということで、タバコの事を言った程度では関係を断絶されないだろうと確信できる人(普通は誰でもそうなんだろうけど、僕の場合、疑ってしまうので)以外には主張する勇気を持てなかったのですが、これからは、できる限りそうしていく事にしたいです。

箱から煙草を一本取り出してもう喫う気満々の人に「いいかな」なんて訊かれたら、断り辛くてしょうがない。そもそも、断ってくれればまだいいほうだし。僕の同級生達は、先輩達は、名も知らぬアカの他人の喫煙者諸氏は、さて、素直に煙草を引っ込めてくれるでしょうか。逆に根性焼きを入れられたりして

かし氏の刺された釘は肝に銘じておこう。

あきらめ気分の僕

理詰めで執拗に説明されたり、不快感を目の前で表明されたりすると、機嫌を惡くするもの――煙草に限らず、誰でもそうだという気がします。